ちゅーごく しんぶん こらむ
てんぷーろく
2021ねん 10がつ 13にち
〈こーと しして そーく にらる〉。 すばしこい うさぎが きえると、 りょーけんわ おはらいばこに なる。 しゅくてきが ほろぶと ちゅーしんも みうちに うたれるとの たとえ。 しばせん 「しき」が ごげんで ある。
こちらの いちぶんの 「いぬ」も ふくむ ところが あろー。 げんしょくの ざいむ じむ じかん やの こーじ しの 「ぶんげい しゅんじゅー」えの きこー。 こっか こーむいんわ 「こころ ある ものいう いぬ」で あれ、 と ちょくげん して いる。 と いうのも、 にほんわ いま、 くにと ちほーで 1166ちょーえんの しゃっきんを かかえるのに、 ちょくし しない まま 「ばらまきがっせん」の せいさくろんが おーこー して いるからだと いう。
もはや だまって いられないと かんりょーわ ほえた。 これに たいし、 こまって いる ひとを たすけないのか、 してきな いけんを のべたのだろー ― などと、 ひややかな はんのーわ よとーないから。
ころなで ひへい した けいざいの さいけんわ ひっすだろー。 だが、 ここに きて よとー しゅーへんが ざいげんを めぐる ぎろんを さけて いるのも じじつ。 やの しわ ざいむしょー きっての ざいせい さいけん ろんじゃで、 ちょくげんの ひとだと いう。 おそらくわ ぶれて いない。 ぶれると すれば、 がんぜんに せんきょしか ない ひとたちか。
たいたにっくごーが ひょーざんに とっしん するよーだと、 やの しわ しゃっきん ざいせいを たとえた。 ごーか きゃくせんわ たせんの けいこくも きかず きたの うみに きえた。 こちらの せんないにわ、 しずまぬ ための けいしょーが ならされて いる すくいが ある。