ちゅーごく しんぶん こらむ
てんぷーろく
2021ねん 1がつ はつか
1991ねん ふゆの ちゅーとー いらく。 せんしゃの ざんがいや さばくに ふりそそいだ じゅーきんぞくの びりゅーしわ、 かぜや ぐんかの ひとけりで ちゅーに まって いた。 ことし 30ねんに なる わんがん せんそーの 「ふーけい」で ある。
せんそーわ たこくせきぐんの しょーりに おわり、 こーほーの べいへいたちわ じょーかんが さそう 「せんじょー つあー」に くわわった。 だが、 ある じょせい へいしわ 「わたしたちわ きっず(こども)だった」と こーかい した。 ちゅーに まうのが れっか うらんとわ しらず、 はしゃいで いたから。 やがて がんけんな からだも、 もえるよーな いたみに さいなまれた。 ほんし きしゃに こーねん あかして いる。
れっか うらんを たい せんしゃ ほーだんに つかうと、 はかいりょくが ます。 この せんそーで べいえいぐんが はじめて しよー し、 てきみかた そーほーに いえぬ こーいしょーを もたらした。
にほんわ じえいたい ゆそーきの はけんを じゅんび し、 たこくせきぐんに せんぴを さしだす。 その ころ、 ひろしまの ひとりの じょせいが 「くにを うったえる ことわ できないの?」と おもいたち、 「こーけんさく」わ けんぽー いはんだと する うったえを おこす。 れっか うらんの わざわいわ しる よしも なかっただろーが、 げんばくの わざわいを しる ひとにわ 「いやな よかん」の する せんご にほんの てんきだった。
わんがん せんそーわ じゅんこー みさいるの えいぞーを ともなって ぜんせかいに だでん された。 その だんどーの したにわ たみが いて、 だいちが あった はずで ある。 30ねんでわ きえない つめあとの ある ことを おもう。

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