ちゅーごく しんぶん こらむ
てんぷーろく
2020ねん 7がつ なのか
やまが くずれ、 かわが あふれる。 どしゃに うもれた いえの そばで たちつくす ひとが いる。 だくりゅーが せまる やねの うえで きゅーじょを まつ ひとが いる。 まいとしのよーに わたしたちわ、 すさまじい ごーう ひがいを まのあたりに して きた。
きのーで にしにほん ごーうから ちょーど 2ねん。 はげしい あまおとが ひびくと いまも ねつけなく なる。 そんな ひさいしゃわ ひといちばい、 くまもと くまがわ りゅーいきの かわりはてた すがたに こころを いためたに ちがい ない。 こんかいも、 いすわる ばいう ぜんせんえ せきらんうんが おしよせた。
さあ ひなん しなければとの おもいを くじく やはんの ごーうだった てんも きょーつー する。 これが ひるまだったと したら、 いくらかでも ひがいわ すくなくて すんだだろーか。 せんないと わかって いながら、 「もし…」を かんがえたく なる。
このところ、 1じかん 100みりの うりょーが すこしも めずらしく ない。 それわ ちきゅー おんだんかの せいだと いわれる。 つまり かいすいおんも きおんも じょーしょー した けっか、 たいきが より おおくの すいじょーきを かかえこむ。 きょだいな せきらんうんが ぞくぞくと うまれ、 どしゃぶりに。
やまわ くずれ、 かわわ あふれる。 それも いちやの うちに。 ざんねんな ことに わたしたちの ふるさとわ けっして ばんじゃくでわ ない。 むしろ ねんねん、 あめに よわく なって いると じかく した ほーが いいのかも しれない。 いのちを まもる ための こーどーを、 いますぐ。 「もし…」と あとで くやまない ために。