ちゅーごく しんぶん こらむ
てんぷーろく
2019ねん 7がつ ついたち
かんごしさんを よく 「はくいの てんし」と よぶ。 その ことに えい ろくすけ さんが ちょしょ 「ただの しごと」で ぎもんを なげかけて いた。 「てんし なんだから、 ぎせいに なって とーぜんだ」。 そんな いしきが にほんでわ ねづよく、 はたらく かんきょーや たいぐー かいぜんを はばんで いるのでわ ないかと。
いりょーの しょーらいを になう わかて いしたちも 「とーとい ぎせい」を しいられて きたのだろーか。 きゅーりょーが しはらわれて ないのに しんりょーに あたる 「むきゅーの いし」が ぜんこくの だいがく びょーいんに 2000にん いじょー いる ことが わかった。
だいがくがわの いいぶんわ、 じこ けんさん、 けんきゅーを して いるのだから ろーどーでわ ないと。 せけんの じょーしきと ずれて いないか。 おおくわ だいがく びょーいんの しごとを しつつ、 せいかつの ために べつの びょーいんで あるばいとを こなして いる。 たいりょくてきにも せいしんてきにも げきむを しいられ、 「どれい」と いう ことばも あるそーだ。
じょーしの いしに いぎを となえれば、 がくいや せんもんいの にんていを とれなく なるかも しれない。 しょーらいの ため りふじんな ことでも だまって したがわざるを えない げんじつが、 むきゅーいの そんざいを ながらく うもれさせて きた。
えい さんわ、 とーとい しごとだからこそ、 ちゃんと はたらいて もらわなければ しゃかい ぜんたいが こまるとも ちゅーもんを つける。 かんじゃの いのちを あずかる いりょー げんばが、 ただばたらきの ぎせいに よって なりたって いるよーでわ あやうい。