ちゅーごく しんぶん こらむ
てんぷーろく
2018ねん 5がつ ここのか
えいごでわ 「ぺいん ぺいん」、 どいつごでわ 「ゔぇーゔぇー」。 とーしょわ そー やくされたそーだ。 だが しょーじょーわ ほかに るいを みない。 にほんごの びょーめいが そのまま せかいの いがく よーごに なった。
とやまけんの じんつーがわ りゅーいきで はっせい した いたい いたいびょー。 なづけおやで あり、 じもとし きしゃと して ながねん しゅざいを つづけた こ はった きよのぶ しの ちょしょで しった。 ほねが もろくなり、 へんけい して とにかく いたい。 みゃくを とろーと いしゃが うでを もった とたん、 ぽきっと おれた かんじゃも いたほどだ。
この やまいが、 にほんで はじめて こーがいびょーと みとめられて、 きのー はんせいきを むかえた。 げんいん ぶっしつわ じょーりゅーの こーざんから ながれでた かどみうむだった。 くにが みとめた あとも、 かがい きぎょーの みつい きんぞくわ ひを みとめず、 しほーの ばで あらそった。 かんじゃがわの しょーそが かくてい したのわ、 さらに 5ねんごだ。
こーがいわ にんげんの こころの なかで うまれる―。すいり さっかの さいとー さかえ さんが 1971ねんに いたい いたいびょー そしょーの 1しん はんけつを うけ、 そんな いちぶんを ほんしに よせて いる。 こーがい もんだいを あつかった みすてりーも おおく てがける さっかわ、 はんせいの いろの ない きぎょーや くにえ いかりを つづって いた。
その ほこさきわ、 わたしたちにも むく。 まいにちの くらしを かえない まま、 けいざい せいちょーを ゆーせん する しゃかいに あんじゅー して いる かぎり、 もんだいわ おわらない。 いまに つーじる いましめで ある。