ちゅーごく しんぶん こらむ
てんぷーろく
2018ねん 3がつ 22にち
げいじゅつか おかもと たろーわ ほんらんの じょーれんで ある。 きょだい へきが 「あすの しんわ」の ゆーちに ひろしましが やぶれた ときなど、 らいばるの しぶやを ほんらんわ あんに けなしても いる。 とわいえ 「たいよーの とー」 ないぶの こーかいが はじまったと なれば、 ごとーじょーを きょー また、 おゆるし ねがおー。
なりたちからして ふしぎな とーで ある。 「じんるいの しんぽと ちょーわ」を となえた おおさか ばんぱくの、 てーまかんの おおやねを ぶちぬく―。 その こーそーに しゅーいわ どぎもを ぬかれ、 おまけに たろーわ 「じんるいわ しんぽなんか して いない。 なれあうだけの ちょーわ なんて いやしい」と いいはなった。
とーの ないぶに そびえるのわ しゅーふく された 「せいめいの き」だ。 いきものの しんかを、 らせん かいだんのよーに、 あめーばから みせて くろまにょんじんまで たどりつく。
だが、 かれら かせき じんるいの もけいわ ちいさい。 まして げんせい じんるいの われわれわ およびで ない。 みらいえ、 うちゅーえ、 じんるい さんかを かなでた おおさか ばんぱくの なかで りかい されない おぶじぇだったのかも しれない。 その とーだけが いまわ のこる ふしぎも おもう。
たろーの めいげんに 「げいじゅつ なんて かってに みて いいんだ。 はいけん するもんじゃ ない」と いうのが ある。 ざんねんながら ないぶの けんがくわ すーかげつさきまで よやくで うまって いて、 かってに ぶらり、 とわ いかないらしい。 しょーしょーの しんぼーわ あらかじめ ごりょーしょーを。