ちゅーごく しんぶん こらむ
てんぷーろく
2017ねん 11がつ 30にち
おもわず てが でる たいぷとわ、 とーてい おもえない。 こーはいの もんごるじん りきしえの ぼーりょくざたで いんたいを きめた よこづな はるまふじぜきで ある。 かいけんで しつもんしゃを みすえ、 じゅんじゅんと とくよーに こたえて いく。 ひれいな こーはいにも なぜ、 あんな ふーに いさめなかったのか。 かえすがえすも ざんねんだ。
えふでを とれば、 こてんを ひらけるほど うでを あげる。 のこる はんせいを みすえ、 だいがくいんえ すすんだ。 ぼこくに きゅーきゅーしゃを とどける しゃかい こーけんにも とりくみ、 ひろしまし しょーぼーきょくから ちゅーこしゃを ひきとって きた。 まじめで べんきょーずきな、 おすもーさんだった。
ただ、 いせがはまべやの おとーと でしからわ、 こんな こえも。 「よこづなわ そとに やさしく、 みうちに きびしすぎた」。 へやが ちがう たかのいわぜきを 「おとーと でし」と おもいこんだのわ、 さすがに いさみあしだったのでわ。
16さいで にほんに わたった ときわ、 あばらぼねが ういて みえそーなほどの ほそみ。 けいりょーの ふりを おぎなって あまり あるのわ、 ひたむきに ぶつかる 「あらぶる」 こころでわ なかったか。 くちぐせも、 「ぜんしん ぜんれい」だった。
りきしたる もの、 しん ぎ たいに はりが なければ、 けいこでも ほんばしょでも どひょーにわ むかえまい。 だが、 「あらぶる」わ、 1じ ちがえば 「すさぶ」とも よむ。 あらぶる こころに しても すぎれば、 わざや ちからが すさむ。 がいじゅー ないごーとわ、 よほど むずかしい きょーちと みえる。